「あたまがカタい」という表現が使われた時は、たいていネガティブな意味合いだ。「カタい」という表現から「頑固」という解釈が一般的だと思う。
その他にも「融通が利かない」意味であったり、発想が短絡的であったりと、良い意味で使われることはほとんどない。
僕が学生時代に師事していた先生、デリー大学でウパニシャッド哲学を専攻していたという、それだけで特殊な経歴の持ち主なのだけど、彼に「あたまがカタい」とはどういうことか質問したことがある。
その時の答えがこれ。
「新しいものを受け入れられなくなってきた時」
なるほど、だから先生はゼミ室でポケモンばかりやってるんですね…。もう20年ほど前の話である。当時50歳くらいの中年男性がゲームボーイポケットでポケモンをするなんてアヴァンギャルドだった。
ともかく、僕はその先生から多大な影響を受けたこともあって、できる限り新しいモノは肯定的にとらえようと考えている。それが僕にとってのやわらかい頭なのだ。
▲そういや同じようなことをこの時に書いてたな…
さて、本書。上記の例と同様にさまざまな角度からカタい頭、やわらかい頭の比較が行われている。
その中のひとつを紹介する。
自由旅行とパッケージ旅行、どちらが「自由?」
というお題。
自由旅行というのは、自分が行きたいところを自分で選んでプランを立てるもので、パッケージ旅行とは、文字通り旅行会社が提案するパッケージプランに沿った旅行のことだ。
普通に考えると自由旅行の方が自由なわけだけど、少し考え方を変えると「自分で選ぶ」ということは、自分の中にある情報から選択していることになり、その時点で「制約されている」ともいえるだ。
▲こないだのカンボジアも自由旅行だった。
対してパッケージ旅行は自分の知らないこと、自分では行かないような内容まで含まれているので、幅の広がりとしてはより「自由度が高い」のではないかといえる…というもの。
つまり、行き先や時間が決まっているという行動制約はあるものの、選択肢の幅としては多彩になるという考え方である。ま、自由と制約を論ずるレイヤーが異なるので単純な比較とは言えないけど。
さて、これと同じことが現代のネット社会にも言えると筆者は言う。
例えば書籍。昔は本屋へ行った時、ウロウロ見ていると面白そうな本を見つけて、ついつい買ってしまうこともあった。だけど、最近では欲しいと思った書籍をAmazonで狙い撃ってポチリだ。
音楽も同様。ダウンロードコンテンツとして聴きたい曲を聴きたい時に聴けるようになったのは非常に便利だけれど、CD屋で運命的な出会いというのは少なくなったと思う。
そういう意味で偶然の出会いを含めた選択肢が制限されている、つまりその時点でやわらかさが損なわれていると解釈することができる。
僕が中学生の頃、洋楽にはまっていた時は輸入CD店へ行って、見た目がかっこいいCDを買っていたことがある。いわゆる「ジャケ買い」である。
当時は試聴なんてものはないし、本当に限られたところでしか輸入盤のCDは買えなかった。その店へ行くのもいちいち面倒だったことを覚えている。
雑誌の広告で見つけた、かっこいいジャケットのCDをわざわざ取り寄せて買ったこともあるのだが、3週間待ってやっと届いたモノがクソだった時の悔しさは計り知れない。
そんなハズレがある中、なけなしの小遣いで「ジャケ買い」するのはかなり勇気のいるものだったけれど、好みの楽曲を見つけた時のお宝発掘感は14~15年の人生において何物にも変えがたいエキサイティングな瞬間だった。
▲当時、最もジャケ買いでヒットした「Battalions of Fear」。ファンタジックなプラレス3四郎風のイラストに魅かれた。
僕の中で「BLIND GUARDIAN」はジャケ買いで見つけたのでとても親近感のあるバンドだ。その後、日本でも大ブレイクし、当然ライブにも行った。
今思うと元HALLOWEENのカイ・ハンセンがゲスト参加してる時点で、もともと世間的に話題になっていたのかもしれない。当日はそんなこと露程も思っていなかったが。
少し話がズレた。自分の好きなもので身を固めるのはとても快適なことだし、わざわざやりたくないこと、嫌いなことをする必要はないと思う。歳を取るといよいよそうだ。
だけど、新しいモノへの好奇心や挑戦は経験の幅を広げることになるし、それはやっぱり頭がやわらかくなることだし、頭がやわらかくなれば人生プラスに思えるし、つまりそれは幸せなことなんじゃないかと思うわけです。
そして強引にこうしめくくる。
走りにマンネリズムを感じてるアナタ、裸足ランニング始めてみませんか?