右足の幅がFでした。

サブ6ランナーかく語りき

【読クソ完走文】長距離走者の孤独/アラン・シリトー

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長距離を走る時、みなさんは何を考えてますか?フルマラソンで3〜5時間ほど、トレイルだと距離にもよるけど10時間くらい走ってるわけで、そこそこ結構長い時間、いわば暇しているわけなのだ。

 

ちなみに僕の場合、大会に出た時はブログに書く内容を頭の中で練っていたり、記憶したい情景を文章にして印象に残したり、そして忘れたり、そんなことを延々としている。後は、しんどい、しんどい、しんどい祭り。痛いとかキツいとかそういうネガティブな感情が、大当たりのスロットマシーンのように止めどなく溢れ出てくる。

 

ただ、独りで山の中を走ってる時、とくに下りを駆け抜けてる時には、往々にして無心になっている時がある。流れてくる景色に身をゆだねながら目の前の地面に意識を集中する。次の一歩、先の情景が「見える」というヤツだと思うけど、それを体感できた時はすごく楽しい。

 

本当であれば常にこういった無心でいられることで最もパフォーマンスを発揮できるのだろうけど、そんな状態って僕には瞬間的にしか訪れない。それ以外の時間はやはりつまらないことを考えているような気がする。

 

長距離走者の孤独』はイギリスの作家、アラン・シリトーの作品だ。以前から作品名は知っていて読もうと思っていたのがすっかり忘れていた。そんな時、3年ほど前に同僚からもらってこれまたすっかり忘れていた『厭世フレーバー』という小説を読み、そこに本書が出てきたことで思い出した。

 

別に自分の物忘れがひどいとかそう言うことはどうでもよろしい。簡単に本書のあらすじを書くと、ワルいヤツが保護施設でクロスカントリーの大会に出るのだけど、途中でゴールすることを放棄して彼のゴールを期待していた大人達にざまあみろ!…というようなお話。ちょっと乱暴な説明だけど、詳細は本編を読んで欲しい。

 

前半はワルいヤツがワルいことをするような描写がなされている。イギリスということもあり、僕がイメージしたのは映画『トレインスポッティング』のような世界観。そういやあの映画でもそうなんだけど、ワルいヤツって意外と走るよね。飲んで吸って打って健康じゃないはずなのに走るよね。フィッシュ&チップスばっか食べてるのにね。1パイントのビールばっか飲んでるのにね。←偏見

 

結局、主人公は警察や保護施設といった「権力」に対して抵抗するためにゴール直前で走ることをやめてしまった。これは彼なりの「誠実さ」を表した結果である。正直、僕には彼の一連の行動に共感はできなかった。「偽善的な権力への怒りと反発」という点には納得できるが、ワルいヤツはワルい事をして保護施設にいるわけで、まずは自分の行いを反省しろやと思ってしまう。

 

もし主人公が保護施設で彼を救ってくれる人に出会っていれば、丹下段平のような人と出会っていれば、『明日のジョー』同様に世間を熱狂させる人物になっていたかもしれない。そう思うと周りの大人が担う責任は大きいものがある。その前に自分で反省しろやと思うけど。

 

さて、題名にもなっている「孤独」について。シリトーがこの題名を付けたいきさつは、簡単にはこう。ある日、ランニングしている人を見かけて、ただひとこと、「長距離走者の孤独」と紙に書きつけた。その後、すっかり忘れていたものの、何かのタイミングでその紙を見つけ、勢いで小説を書いた…という感じ。作者もすっかり忘れる人らしい。

 

ここで語られる孤独というのは、ネガティブな孤独ではなく、どちらかというと人間に必要とされる孤独だと思う。主人公は森の中を独り駆けて行く中で「この孤独感こそ世の中で唯一の誠実さであり現実であり、けっして変わることがない」と実感している。

 

人はひとりでは生きていけないけど、孤独であることもまた真理。前述した通り、独りで走る時にこそ無心になれるし、そういう孤独感がなければ本当の力を引き出せないのかもしれない。糸井重里氏の著書『思えば、孤独は美しい。』の一節に「孤独とじっと向き合った人だけが、本人なのである」と記されている。

 

ワルな主人公も長距離を走ることで孤独と向き合い、自分の思う正直な気持ちに従って、つまり誠実に、途中で走ることをやめたのである。

 

タイトル『長距離走者の孤独』と聞いて、僕が真っ先に連想したのが『撃墜王の孤独』。言わずと知れた、これまたイギリスのバンド、IRON MAIDENが歌う「Aces High」の邦題だ。力強くも憂いを感じるメロディーがカッコイイ!そういやレコード持ってたんだけど、どこ行ったっけな。すっかり忘れてしまった。

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