右足の幅がFでした。

サブ6ランナーかく語りき

【読クソ完走文】パパラギ/エーリッヒ・ショイルマン

f:id:iparappa:20190113220959j:image

パパラギ」ー 雰囲気的にあまり馴染みのない言葉だけど、これはサモア語で白人(主にヨーロッパ人)のことを指す。

本書には「はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集」というサブタイトルがつけられていて、文字通りサモアの酋長がヨーロッパを訪れた時に抱いた感想が記されている。

ただし、内容は文明人に対する批判が大半で、そしてこれがまたあまりに的確な指摘をしていることで話題になった(らしい)。

酋長ツイアビがヨーロッパを訪れたのが1900年初頭、今から100年以上も前のことだから当時の文化、生活も今と大きく異なっていると思う。

しかしながら、彼の言葉はあたかも現在の我々の生活を見聞したかのように綴られている。僕はつい最近の出来事かと思ってしまったほどだ。

 

サモアの生活と我々の生活は大きく異なる。前提として当時のサモアでは共有財産制であり、お金やモノに対する認識が全く違う。

だからといって、彼の言葉は無視できるものではない。

例えば、「たくさんの物がパパラギを貧しくしている」章では物質的に豊かになっても精神的に貧しい文明人を批判している。

パパラギにはひまがない」章では「時間がないと嘆くパパラギは悪霊に取り憑かれたように走り回り、行く先々で災いと混乱を招く」としている。

…確かに、いずれも思い当たる節があるようなないような。

極めつけは最終章の「パパラギは私たちを彼らと同じ闇の中に引きづりこもうとする」という文言だ。

宣教師によってサモアキリスト教がもたらされ、武器を捨て隣人を愛せよと教えられた彼ら。それによってサモアでは村々での争いがなくなった。

にもかかわらず、キリストの教えを説いたヨーロッパ人が第一次世界を起こすのだ。

きっとツイアビはそのことがショックだったに違いない。「パパラギは気が狂ったのだ!」と叫ぶ。そして文明人が矛盾だらけの存在だということを確信した。

パパラギの生活、文化、思想、すべてにおいて矛盾が支配し、無意味な価値観が自分たちサモアの生活を脅かすと考えたのだろう。

彼は文明を振りかざすヨーロピアンに「我々に近づくな」と拒絶をあらわにしている。

 

サモアでは日本人のことをシャパニと呼び、パパラギとは区別されている。

そういう意味で少し距離を置いて本書を読むことができたが、正直なところ彼の指摘は我々、日本人にも当てはまる。

というか、現代人の生活は、まさにツイアビが記している通りで、自分はなんと些細なことに一喜一憂し、気苦労を重ね、不自由な生活をしているのかと気付く。

もっと自由気ままに生きたら良いのだし、本当に大切なことは物やお金なんかじゃない。

って割り切れたらと思うのだけれど、文明に飼いならされた僕はなかなかそうできない。できるのは断捨離くらいだ。

少し今の生活に疲れたという人は是非、本書を読んでみてほしい。自分の悩みがバカらしくなって心が軽くなるかもしれない。

最後に僕が気に入った一文を紹介して終わろうと思う。

昔、ヨーロッパに、ひとりの有名なパパラギがいた。この男は、自分のもとに集まる多くの人びとにこう告げた。

「足にきゅうくつな重い皮を巻きつけるのはよくないことだ。朝露が草の上で光っている限り、青空の下をはだしで歩こう。そうすれば、病気など自分のほうから逃げてゆく」と。

この人は、とても健康でかしこい人だった。だが、世間は彼をあざけ笑い、やがて忘れた。