前回、蓮台野に関わるお寺を紹介したけれど、今回はここ石像時(しゃくぞうじ)からスタート。
千本ゑんま堂から目と鼻の先にある、こじんまりとしたお寺だ。
正式名称は石像寺だけど、通称は「釘抜地蔵」と呼ばれている。
創建は空海パイセン。なので、もともとは真言宗だったんだけど、鎌倉時代に再興された際、浄土宗に改宗されている。居抜きかー。そういうこともあるのね。
▲提灯にも書かれている通り、またの名を釘抜地蔵という。
▲オブジェがあるからか、ここの本堂はかっこいいんだよな。
なんで釘抜地蔵というかというと、以下のような言い伝えがあるからだ。
室町時代、紀ノ国屋道林という商人が原因不明の両手の痛みに襲われた。
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石像寺の地蔵菩薩に7日間、お参りをしたところ夢に地蔵菩薩が現れた。
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地蔵菩薩曰く、「前世に八寸釘を打ち込んで人を呪ったからやで」と。
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夢の中で抜き取った八寸釘を見た道林が目覚めると、手の痛みが消えていた。
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石像寺に行くと、地蔵菩薩の前に血に染まった2本の八寸釘が置かれていた。
ということで、「苦を抜く」という意味も掛けて「釘抜地蔵」と呼ばれている。
▲本堂につながれた金剛杵。撫でるとなんかご利益があるっぽい。
▲こじんまりしているけど、何て言うかとても印象良いお寺だと思う。
▲奉納された釘と釘抜の絵馬が本堂の外壁にぎっしり並べられている。壮観!
▲この本堂をくるくる回るお百度参りをしている人もいた。
▲この竹の棒を年齢分持って、本堂の周りを一周するたびに1本置いて行く。
僕が訪れた時、おじいさんがお百度参りをしており、熱心に拝んでいた。
もう一人、おばさんが本堂前でお祈りし、置かれている仏具を何度も撫でていた。
どうやら何かしら決められた参拝方法があるようだ。
お二人があまりに厳かにお参りされていたので、こちらも興味本位で写真をパシャパシャとるわけにもいかず、見よう見まねでお参りをする。
▲根本から枝が伸びた松の木。ご立派。
境内は広くないので、スルッと見ればすぐに終わってしまうけど、ひとつひとつのお堂、仏像が印象的で自然と丁寧に見てしまう。
この近辺に訪れた際は是非とも訪れてほしいお寺のひとつだ。
ちなみに、ここ石像時の北側に小学校があるんだけど、都はるみの出身校でもある。
大報恩寺
石像寺から千本通りを少し南へ下って西へ入ると大報恩寺が見えてくる。
このお寺も「千本」を冠する、通称「千本釈迦堂」と呼ばれいる。
そしてこのお寺には、僕が大好きな快慶作の仏像がたくさん置かれているのだ。
▲細い通りに面する入口。
▲寺の規模からするとやや小さめの山門。クロネコがいた。
▲立派な本堂。京都市街に現存する最古の木造建築だそう。
快慶と言えば、歴史の授業で「運慶、快慶」とまるで双子のように教わったけど、運慶と快慶は全くもって異なる人物だ。
当時、ノリにノッていた仏師ファミリー「慶派」を創設した康慶の子として筆頭を務めた言わば仏師のサラブレッドだった運慶。
自身、数々の国宝級仏像を作る功績を残すと共に、6人の息子も仏師となって慶派の盛隆に大いに貢献した、まさに仏師界のハイパーマルチクリエイターだ。
対して快慶は生没年不詳、仏師界に彗星のごとく現れた謎の覆面仏師。
またの名を「安阿弥陀仏」と言い、彼の繊細な作風は「安阿弥様(あんなみよう)」と呼ばれている。
生涯を通して異常な数の仏像を彫り続けた怪物仏師の快慶。
僕の勝手な想像だけど、実のところ彼の正体は源義経じゃないかと妄想している。根拠はないけれど。
今回、時間に余裕がなかったので境内を見てまわるだけになってしまったけど、仏像が安置されている霊宝殿にはまたあらためて訪れたいと思う。
▲北野経王堂願成就寺。もともと三十三間堂の倍半の大きさがあったという。
▲本堂を作った棟梁の奥さん「阿亀」の名をとった桜。
さて、千本釈迦堂にはもうひとつ見所がある。それが「おかめ塚」だ。
なぜおかめが祀られているかというと、こういう逸話があるから。
本堂の制作を依頼された棟梁が4本の柱のうち、1本だけ長さを間違え短く切ってしまった。
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そこで妻の阿亀が「全部短くして、枠組(アジャスター)つけたらいいじゃん」とアドバイス。
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その方法で無事に解決するも、素人の助言で夫が仕事を成し遂げたとなれば恥をかくことになる。
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という考えに至った阿亀は自害する。
鎌倉時代当時のお話だけど、なんというか時代を反映した逸話だなと思う。
そんな阿亀さんを弔うために作られたのが「おかめ塚」なわけだけど、結局その事実が知られちゃったら意味ないんじゃないかと思うのは自分だけだろうか。
▲境内にある「おかめ塚」
そんなおかめ信仰の発祥である大報恩寺には、ありとあらゆるおかめが安置されている。
薄暗い廊下に所狭しと並べられたおかめ群はなかなかの見応えがある。
宝鏡寺の福助人形にもギョッとしたけど、ここのおかめにも何かしら人知を越えた雰囲気を醸し出すものが感じられる。
小雨が降り始めた境内を後にし、さらに南へ下っていく。千本釈迦堂のすぐ近くの交差点が「上七軒」だ。
京都五花街のひとつとして数えられる上七軒。祇園同様、僕には無縁仏の地域だけど、どういうわけかテンション上がるのは男の性か。
夏はビヤガーデンをやっていて、浴衣姿の舞妓さんが接客してくれるというのだから是非とも度行ってみたい。いや、ちょー行きたい!
▲交差点は普通の交差点だけど、西側には石畳の街並みが続いている。
立本寺
上七軒交差点を過ぎると、右手に立本寺(りゅうほんじ)という看板が出ている。ここが今回最後に訪れたお寺だ。
創建は日蓮の孫弟子にあたる日像(にちぞう)上人。前身は「妙顕寺(みょうけんじ)」といって、西日本で最初に建てられた日蓮宗のお寺なんだとか。
▲まるで旅館のような看板、立本寺。
▲看板の下には案内板。見る限り大きそうなお寺。
実はこの立本寺、幽霊が飴で子供を育てたという伝承が残るお寺なのだ。ここのお寺の墓地から生まれたその子供は、成長して立本寺二十世住職になったらしい。
▲ご存知、墓場鬼太郎のモデルにもなった話だ。
若い女性の幽霊が夜な夜な飴を買いに来たという飴屋の「みなとや」は現在、東山の六波羅蜜寺の近くにある。
飴屋の主人が不審に思って、女性の後をつけてここまで来たというのだけど、「みなとや」から立本寺までは約6キロ。
夜中に往復2時間ちょっとかけて飴を買いに来る方も来る方だけど、若い女性をストーキングする方もする方だなと思うのは現代の感覚。
▲なぬ!勝手に境内に入るのはNGという…。
▲境内に入るには寺務所で手続きが必要とのこと。
こちらも時間の関係で中には入らず、そして幽霊飴も買わずに帰ってしまったので心残りではある。
墓地には島左近のお墓もあったというのだから、また来なくてはなるまい。
▲南側に大きな山門があった。
▲有料老人ホームも経営している。月25万円からだと…!?
▲走ること数キロ、帰ってきました東山。
今回、金閣寺まで行って帰って約25キロ。実は久しぶりに20キロオーバーを走ったので、後半バテバテ。からくも家に帰ってきた。
途中、同級生でワラーチ先輩のT氏に遭遇。年の瀬、同じワラーチ仲間に出会えるのは何というか感慨深く良い締めになった気がする。
2020年も怪我なく事故なく、健やかに走りたい。
どうぞよろしく。