右足の幅がFでした。

サブ6ランナーかく語りき

【神と仏の長距離走】六道珍皇寺 ~ 西福寺 ~ 六波羅蜜寺

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現在、2回目の緊急事態宣言真っ只中の京都City。小雨が降っているとはいえ、日曜日の午前中で観光地の人出は異常なくらいに少ない。

上の写真は朝10時頃の清水寺。行ったことがある人はわかると思うけど、この時間で誰も写ってないなんて奇跡に近い。

まさに緊急事態とも言える状態。不謹慎ながら有名なお寺や神社をゆっくり見れるチャンスでもある。

とはいえ、今回僕が目指すお寺はここじゃない。清水寺を背に坂を下っていく。

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清水坂もご覧の通り。さびれた観光地のごとく人がいない。

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産寧坂もこんな感じ。走るのをやめて思わず観光したくなるぜ。

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東大路通りまで下りて来た。清水道の交差点をさらに西へ行く。

実はこのあたり、京都三大風葬としての歴史がある。過去のブログでも取り上げたけど、北の蓮台野(れんだいの)、西の化野(あだしの)、そしてここ、東の鳥部野(とりべの)だ。

昔は洛外(都の外側)に遺体を捨てていたそうで、死者がいる場所=あの世として認識されていた。

つまりこの世とあの世の境目みたいな感じだったのだけど、そういう場所には必ずと言っていいほどちょっと変わったお寺がある。

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▲このあたりには広大な墓地がある。この東側には無縁仏のお墓もある。

「京都のおすすめスポットは?」と聞かれたら、僕は迷わずこの近辺をおすすめする。

ある意味で魅力ある見所がそろっているからだ。

ま、まあ外したとしても近くには清水寺建仁寺もあるしな…。

と、いうわけで!そう、満を持してこの神仏走シリーズに登場、ついに掲載することになった鳥部野について紹介したい。

 

六道珍皇寺

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清水道の交差点からほどなくいくと、住宅街の右手にお寺がある。それが六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)だ。

珍(ちん)という響きがなんとなくコミカルな印象を与えてしまうけど、もともとは「ちんこうじ」と呼ばれていたらしく、そんなところも含めて魅力的なお寺であろう。

六道っていうのは仏教でいう地獄道・餓鬼道・畜生道修羅道・人道・天道の六つの冥界を指す。

シャカの技をくらったフェニックス一輝が六道を巡ったことで記憶に残っている人は多いはずだ。

ちなみに尿道は六道に入っていない。

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六道の辻の石碑がある。

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▲境内はこんな感じ。広すぎず狭すぎず。

平安時代に創建した際、もともとは東寺に属していたんだけど、荒廃した後、建仁寺の僧が再興したことで現在は建仁寺派に属している。

創建の由来がよくわからないのだけど、とりあえず小野篁(おののたかむら)がいたことは間違いない。

小野篁といえば安倍晴明とならび平安時代を代表するオカルト野郎だ。昼間は朝廷で働き、夜はあの世の閻魔庁で働いていたといわれている。ドリンク剤もない時代に働きすぎやろ篁。

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▲そんな篁の像が安置されている。

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▲撮影禁止なので外だけ。この中に篁像がある。

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▲ちなみにその左には閻魔大王の像もある。なんと篁自身が彫ったのだとか。

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▲境内には鐘楼がある。

この鐘楼にあるのが「迎え鐘」と呼ばれる鐘だ。お盆の時にこの鐘を鳴らすと、その音に呼び寄せられて死者の魂が集まるという。

って書くと語弊があるな…。この鐘の音を頼りに祖先の霊が帰ってくるそうだ。

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▲こんな感じで持ち手が出てる。

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▲引っ張ると鐘が鳴る。

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▲鐘楼の正面には地蔵堂がある。

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▲このお地蔵さんは空海パイセンが一夜で彫ったとか。

先ほども紹介した通り、このあたりは葬地であったため、弘法大師がお地蔵さんを彫ったと言い伝えられている。それがこの大石地蔵だ。

蓮台野にも石仏がたくさんあったけど、やっぱりここにもたくさん安置されている。

当時は飢饉や疫病の流行で遺体を火葬する煙が絶えなかったらしく、さらに火葬にできない遺骸がそこかしこに横たわっていたというから、想像するにまさにあの世だ。

六道の辻はそういった場所にあった。

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▲境内のど真ん中には石塔婆がある。

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▲こちらが本堂。シンプルなたたずまい。

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▲あの世への入口らしい。提灯に書いてるとお化け屋敷の看板みたいだな。

あの世への入口というのはあながち間違いではなくて、このお寺には小野篁が冥府へ行く際の入口となった「冥土通いの井戸」がある。

残念ながら特別拝観の時以外は近くで見ることができない。

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▲本堂の奥にあるのが例の井戸。

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▲わかりにくいけど、コレ。

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▲やっぱりよくわからないので掲載されている写真を載せておく。

「冥土通いの井戸」の東側には篁があの世から帰る時に通ってきたと言われる「黄泉がえりの井戸」というものがある。帰る時は別の井戸なのね。

こちらの井戸はお寺の東側の路地からちらっと見ることができる。

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▲2月に特別寺宝展があるみたい。この時に井戸が見えるのかしらん。

さて、あの世とのつながりが強い六堂珍皇寺を後にし、さらに西へ向かう。

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▲このあたりの人にはお馴染みのスーパー、ハッピー六原。

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▲もう少し行くとT字路に。この交差点が六道の辻と呼ばれる場所だと思う。

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▲一応、標石もある。

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▲交差点の北側には有名な幽霊あめちゃんのお店。

幽霊が飴を買って子供を育てた話があって、その育った子供が、以前紹介した立本寺の住職になったといわれている。

言い伝えによると、もともと水飴だったそうだけど、現代ではべっこう飴のようなものになっている。

不均等な飴はときどき大きく鋭く、殺傷能力抜群なので注意が必要だ。 

 

西福寺

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そんな幽霊飴を売っている「みなとや」の対面にあるのが、ここ西福寺。

ちょうど交差点の角にあるお寺で、非常にこじんまりとした境内だ。境内というか、ちょっとした田舎の家のような感じ。

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▲入口には子育地蔵尊の提灯がある。

桓武天皇の息子である嵯峨天皇。その奥さん壇林皇后がたびたび訪れていたという話があるから、かなり古いお寺なのは確かだ。

空海パイセンが壇林皇后の安産を祈願してつくったお地蔵さんが、子育地蔵尊という訳だ。

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▲なかなか圧迫感のある境内だ。

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▲様々な石仏が所狭しと安置されている。

8月7日から10日の間、このあたりで「六道詣り」というイベントがある。盂蘭盆会、いわゆる旧暦でのお盆にあたる行事だ。

以前、夜に訪れたことがあるんだけど、ロウソクが灯されていたりして、あの世感たっぷりの雰囲気だった。

西福寺では「絵解き」といって所蔵している六道の絵を公開している。小さな部屋にいろんな掛け軸が吊るされているのは必見だ。

結局その時は、このあたりをひと通りみてベビーカステラ買って帰ったっけ。

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▲ちょっとこわい絵があるのもこのお寺の見どころ。

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▲右奥の通路の先には小さいながら墓地もある。

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▲ものものしい町名だぜ。

このあたりは轆轤(ろくろ)町という名前なんだけど、もともとは髑髏(どくろ)町と言われていたそうな。

由来は言わずもがな、そのあたりにシャレコウベが転がっていたからだそうだけど、やはり、さすがにドクロはちょっと…ということで、ロクロになった経緯がある。

京都には他にも閻魔前町とか血洗町とか不吉な住所があって、それなりの出来事があった場所だといえる。信憑性のほどは定かではないけど。

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▲西福寺から南へ。なんかおしゃれカフェみたいな建物がある。

 

六波羅蜜寺

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来ました。六波羅蜜寺

「口から南無阿弥陀仏」で有名な、かの空也上人が開山したお寺と言われている。空也は社会の教科書に必ず出てくるので知らない人はいないだろう。

その空也上人、実は醍醐天皇の息子であるという説もある。教科書でみた姿からは、その辺のゴロツキ坊主かと思っていたけど、なんと皇族だったとは。

これについては諸説あるんだけど、出生がどうあれ庶民のために奔走したというのは本当だ。

そんな空也上人の像を見れるのが、ここ六波羅蜜寺なのです。

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▲入口はこんな感じ。

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秘仏十一面観音のレプリカ。辰年に御開帳という12年に1度の出会い。

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▲前来た時、こんなのあったっけ?

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▲久しぶりの宝物館。ウキウキする。

本堂裏にある宝物館、ここに安置されてる木像彫刻はまさに名宝。それほど広くはないんだけど、かなり近い距離から見れるのもポイントだ。

しかも、安置されてる像がまたいい。先ほどの空也上人像をはじめ、これまた教科書でお馴染み、巻物を見る平清盛坐像、仏師集団慶派を率いる仏師王・運慶の像、そしてその長男・湛慶の像など、もうホントに目まぐるしい。

鎮座する薬師如来の他、運慶の快作、夢見地蔵、さらに日本仏師の源流、レジェンド定朝の鬘掛地蔵など、いずれもハイクオリティかつインポータント文化財

今回で3度目の訪問だったけど、時期も時期だったので、ひとり静かに心ゆくまで堪能することができてたいへん満足した。

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▲ここにも迎い鐘がある。けど引っ張るところはない。

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▲本堂は大きくて立派な建物だ。

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▲扁額も活かしてるぜ。

うーん、満を持してというわりには、それほど紹介する内容がなかったな。しかも今回は紹介したお寺が一か所にかたまっていたから全然走ってないしな。

結局、ただのお寺紹介になってしまった。

何はともあれ、ここ六道の辻界隈には見所がたくさんある。清水寺を訪れたついでにでも、是非寄ってみてほしい。

 

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このあと、アカハライモリのエサになる冷凍赤虫を買いにペットショップまで走って行って15キロほど。

小雨が降ってて、帰りに寄った梅小路公園の芝生広場が良い感じで濡れてたから我慢ならず、2キロほど裸足で走ってから帰ったのだった。