【読クソ完走文】絶望読書/頭木 弘樹
ここしばらく趣味のランニングができていない。
どうも夏過ぎから右脚が痛く、とりあえず休養中だ。
とはいえ、ここまで走らないと不安になってくるし、非常に焦る。
たかが趣味でもこう思うのだから、もし病気で長期入院になった時はどれほど不安になるだろう。
著者はそんな思いを13年間も経験した頭木氏。
これほど不安な期間を過ごすことを「絶望」と言わず何という。
思うに「絶望」の「絶」の字は気持ちをえぐり取るような字面をしている。
「糸」と「色」という繊維か何かみたいな組み合わせのはずなのに、ものすごく痛々しい印象がある。
そんな字が「希望を絶つ」のだから、「絶望」という文字はそれだけで心の暗い部分にクリーンヒットする。
ちょっと意味のわからない話をしてしまったのだけれど、本書の話。
主題は、絶望した時にオススメの本!という内容だ。
過去、絶望の淵に追いやられた著者が薦めるのだから説得力がすごい。
定番の絶望野郎カフカを筆頭に苦悩まみれのドストエフスキー、極東の絶望・太宰治まで、様々な絶望作家が登場する。
絶望にもいろいろ種類があって、それに合わせて作品を紹介しているのが秀逸だ。
まさに絶望ソムリエ。
著者の実体験として、絶望している時に明るく前向きな作品を読むのはタブーとしている。
(もう少し丁寧に言うと、それを読む時期というのがあるそうだ。)
絶望した気持ちを前向きにするのではなく、それに寄り添うような作品、今の気持ちをわかってくれる作品こそ必要らしい。
これは活字だけでなく、映像にも音楽にも当てはまる。
無理に気持ちを奮い立たせると後々リバウンドがきてしまう。
絶望期はそれに押し潰されないよう気持ちをコントロールしながら過ごすしかない。
そのために必要なのが絶望読書というわけだ。
著者はもうひとつ読書の必要を説いているわけだけど、本書の本当の主題はここにある。
誰しも自分の未来はこんな感じになるんじゃないかと、うっすら想像しているだろう。
しっかりした人なら自分の夢や希望を叶える未来を描いてるかもしれない。
だけど、いつどのようなカタチで、想定していた未来への道が絶たれるかわからない。
絶望的な出来事で人生を書き直さなければならない時、それはとても難しいと著者は言う。
人生が混乱し、本来の人生を失った気がして、新しい人生は受け入れがたく思えます。
そんな思いを断ち切って、新しい人生を歩んでいくためのマストアイテムが絶望読書なのだ。
ノンフィクション作品の場合、絶望からの復帰、起死回生、大逆転劇というのが定番になっている。
それでは絶望した人の心に寄り添えない。
こんな時こそフィクション、つまり物語が力を発揮する。
絶望作品ラインナップが長く親しまれているのはそういう理由もあるようだ。
幸い、僕は絶望と言えるような経験はないのだけれど、それでも落ち込む時はある。
「絶望した時に本を読む」という発想はなかったので、いずれ試してみたいと思う。