これまで京都の免許センターはかなりヘンピなところにあって、更新の度に辟易していたのだけれど、最近、優良ドライバーは京都駅前で更新できるようになった。
ほぼペーパーの僕は優良も優良、さっそく駅前で手続きを行い、無事に滞りなく更新することができたのだった。
さて、この日はもともと走って帰るつもりだったけど、思いの外、更新が早めに終了したので少し遠回りして帰ることにする。
スタートは東本願寺から。さすが圧巻の境内だけど、今日もスルー。なにせ人が多い。とりあえず烏丸通りを北上する。
▲烏丸御池を過ぎるとマンガミュージアムが見えてくる。いきたーい。
菅原院天満宮神社
丸太町通りに差し掛かると交差点の北東にあるのが京都御所。誰かが「烏丸丸太町」を「カラスまるまる太り町」と言ったとか言わないとか。
御所を右手に走っていると左手には菅原院天満宮神社が見えてくる。ここは菅原道真が産まれた場所だ。
その際、産湯に使われた水が湧き出ていて、今では受験の時や病気の時に飲むとご利益があるとされる有り難いお水になっている。
▲道真公のイラストがややふざけているけど、由緒ある神社。
▲奥から出ているのが「初湯の井戸」。おそるおそる飲んでみる。
▲と思ったら、ちゃんと蛇口から井戸水が出ていた。ペットボトルに入れて持ち帰る人にも遭遇。
▲本殿。道真公とその父、祖父の三代を祀っている。
▲末社である梅丸大明神。癌封じの力があるらしい。
▲神社の目の前には京都御所。
天満宮からさらに北上すると数百メートルで見えてくるのが護王神社。
和気清麻呂(わけのきよまろ)とその姉、広虫を祭神としている。
清麻呂って誰やねん?という方に簡単に説明すると、いわゆる平安京を作った人だ。
そしてここは足腰の神社として有名。なぜ足腰なのか、それにはちゃんとした理由がある。
▲看板が出てるのですぐわかる。
▲正面には狛犬ならぬ狛猪が置かれている。
清麻呂は、とある権力者の恨みを買ってしまい足の腱を切られてしまう。
歩けないまま神社への参拝に行くのだけれど、途中三百匹のイノシシが現れ彼の御輿を取り囲んだそうな。
すると参拝後に足が治って歩けるようになったとさ。
というところから、足腰の神社として知られるようになった。(話はだいぶ端折ってるけど)
▲表門の前には御千度車。とりあえず回す。
▲でっかいお守りのモニュメント(?) 購買意欲をそそるぜ!
▲巫女さんも募集中。長期勤務可能な方限定。
▲ここにも猪。霊猪像というそうな。
▲座立亥串(くらたていぐし)という絵馬みたいなもの。キノコみたい。
▲これが中門。この向こうに御本殿がある。
▲この人が和気清麻呂さん。右の人じゃなくて左の像の人ね。
清麻呂像の後ろにあるでっかい岩、これは「さざれ石」と呼ばれる国歌に出てくるアレである。
といっても国内にはいくつもさざれ石があり、地学的にはいわゆる「石灰質角礫岩」というものらしい。
▲護王神社の「さざれ石」。しっかり祀られていた。
ここの神社は参拝客が非常に多かった。足腰に良いというのが、年配層に訴求するからか。
もちろん、普段走ってる僕もこのご利益にはあやかりたいところ。
なんでも「幸運の猪像」の鼻を撫でるとご利益ありと記されていたので、その像を探すも一体どれか分からない。
実際は手水舎の猪像だったようだけれども、全然違う猪像を執拗に撫でて神社を後にした。
なおも烏丸通りを北上、御所の北端である今出川通りに出たら左へ曲がり西に向かう。
このあたりから歩道が狭くなるから要注意だ。
▲信号待ちで史跡を発見。足利将軍って書いてる?
これは室町将軍御所とされた「公方様(くぼうさま)」または「室町殿(むろまちどの)」と呼ばれる建物の南端を示した目印だ。
とはいえ「花の御所」と呼ばれた当時の栄華は現在、京都保護観察所が建てられている。
さて、今出川通りをさらに西へ行く。そして堀川通りに出る直前、右手に見えるのが白峰神宮だ。
ここは球技の神様として知られる神社で、蹴鞠の奉納で有名。
▲スポーツの神社、白峰神宮。
▲拝殿にスポーツショップみたいな垂れ幕が。
▲球技上達の「撫で鞠」。廻すと球運を授かるとか。
▲本殿にはサッカーボールやバスケットボールが納められている。
▲「鞠の鈴」。重いのと軽いのがある。これを振って参拝するスタイル。
白峰神宮の境内はそこそこ広い。蹴鞠をする「鞠庭」があり、樹齢800年の大木やモニュメント的なものまである。
▲京都最大のオガタマノキ。
この神社は淳仁天皇と崇徳天皇を祭神としている。崇徳天皇は百人一首でもお馴染み、この句を詠んだ人だ。
瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ
この歌の情景を枯山水で表現したものが境内にあるのだけれど、正直なところいまいちピンとこない。
本来は二種類の苔が水の流れを表現しているそうだが、この時は全く苔がなかった。
▲「浄心の庭」という。創建百五十年の記念に歌碑がつくられたらしい。
しかし今回、この後走ったルートで、もう一度崇徳天皇の名前を目にすることになる。
それはまた次のお話で。
▲蹴鞠と和歌の家元、飛鳥井家の邸宅跡にできたのがこの神社。
僕が訪れた時、短髪でシュッとした青年が一人参拝に来ていたので、ここで待っているとそういった若者に出会えるかもしれない。
スポーツマン好きは要チェックだ。
白峰神宮を出て、堀川通り沿いを再び北上する。このあたりまでくると人もまばら。何か用事でもない限りめったに通ることのない場所だ。
しかしこんなところにもオシャンティーな店はある。半袖短パン、汗だくのおっさんには到底入ることが許されない。
どうでもいいが、働いている店員さんも可愛くおしゃれだった。くそ、ふらっと立ち寄りたいぜ!
▲街角のタバコ屋をリフォームした雑貨屋。オシャレ過ぎるやろ。
そのまま進んでいくと堀川通りが少し左に曲がっている。やや不自然な感じで。このあたりはお寺が多く、また裏千家関連の建物も多い。
お寺の敷地に配慮したのか、裏千家の建物に忖度したのか、はたまた全く違う理由があるのか…そんな想像をしてしまう地形が京都には多い。
その不自然な交差点を右に入ると、今回の一番の目的地である宝鏡寺が見えてくる。住宅街にひっそりとたたずむ何の変哲もないお寺だ。
▲どちらかというと地味なお寺かも。
しかしながらこのお寺、人形寺として有名で、人形供養はもちろん、由緒ある人形を多く所蔵しており、春と秋に人形展を開催するなど人形マニアには外せないお寺なのだ。
人形供養と言えば、京都駅近くにある粟嶋堂宗徳寺がある。こちらも境内にものすごい数の人形が安置されていた。
ただ、どちらかといえば庶民が捨てるに捨てられない人形を供養に来たり、比較的新しい人形が多いという印象だった。
しかし、ここ宝鏡寺の人形は皇族が愛玩していたものや献上されたものなど、なかなかにやんごとなきものが多い。
▲境内にある石碑。武者小路実篤の歌が刻まれている。
今回、初めて訪問したのだけれど、人形だけでなくお寺の庭もこれまた素晴らしい。壁一枚隔てて住宅街があるのが信じられないくらい世界観のある庭だった。
庭だけでなく建物の襖絵もお見事で、円山応震が描いた書院の襖絵は無知な僕にも何か感じるものがあった。
円山応震は円山応挙の孫にあたる。そう、応挙といえば初めて足のない幽霊の絵を描いたと言われる江戸時代の絵師だ。
そういう関連性があるのかないのか、このお寺自体が非常に厳かなというか一種異様な空気感を漂わせているような気がしないでもない。
▲今回、特別公開されていた日野富子の像(左)。意外と小さく、遠くにあったのでよく見えなかった。
とはいえ、やはり圧巻は江戸時代の雛人形や「万勢伊さん」などの人形群だ。丁寧に保管された人形は気のせいかまとっている雰囲気が違う。
中でも廊下の真ん中にポツンと置かれた福助人形、これはヤバかった。正直ゾッとした。
千本釈迦堂のオカメを見た時もゾッとしたけど、なんというか、もっと異様なものを感じ取った。人形マニアの方は必見だ。
全くの余談だが、こちらのお寺で御手洗いをお借りした。扉の取っ手が木でできており、スライドさせる古いタイプのものだ。
僕が中に入っていると、その取っ手が動いて扉がガタガタと動いた。おそらく誰かが開けようとしていたので「入ってますよ」と一声掛けた。
待たせては悪いと思い、急ぎ用を足し外に出てみたものの、不思議と誰もいない。そういえば「入ってますよ」という呼びかけに対して「すみません」という返事がなかった。
扉越しではあるけれど、何となく人の気配のようなものもなかったような気がする。(スリッパで歩く音とか)
僕は鈍感なので「まさか人形が…」などと思わず次の目的地へ走って行ったが、そっち方面に敏感な人は少し注意した方がいいかもしれない。
後半へつづく。