右足の幅がFでした。

サブ6ランナーかく語りき

太陽の塔はいつ世界遺産になるのさ?【読クソ完走文】太陽の塔 TOWER OF THE SUN / 平野 暁臣

f:id:iparappa:20180812233749j:plain

1970年、僕が生まれる前に開催された日本万国博覧会

当時の熱気を知る由もないのだけれど、高度経済成長期の日本が凄まじい勢いを持っていたのは間違いない。

オリンピック開催、新幹線の開通、その後の日本を支える発展が形成された時期でもある。

そんな湧き上がる時代の中心に、燦然とそびえ立っていたのが太陽の塔だ。

f:id:iparappa:20180813015844j:plain

 


太陽の塔」とは何なのか?

「人類の進歩と調和」をテーマに開催された大阪万博

最新技術や科学の進歩を披露し、来るべき未来へ期待に胸をふくらませた一大イベント。

そんな人々の思いをベラボーに裏切り、アンチテーゼを打ち立てた人物がいる。

それが、大阪万博のテーマプロデューサーである岡本太郎氏だ。

f:id:iparappa:20180812233850j:plain
岡本氏は「人間であることの誇り」「生きることの歓び」を中核に展示を行った。

言わば、テーマプロデューサーが万博のテーマに真っ向から反発するという暴挙?に出たわけだ。

そのアンチ・エキスポ精神から産み出された具象のモニュメント、万博史の異物。

それが「太陽の塔」なのだ。


"反博"をまとった強烈な魅力

高さ70メートル。造形物のインパクトとしては十分。

僕が内覧に訪れた日、近くの商業施設でガンダムのフィギュアが展示されていたけど、ガンダムは18メートル。

ちなみに「圧倒的じゃないか!」のビグ・ザムは約60メートル。

太陽の塔はその巨大モビルアーマーをも凌ぐ強烈な存在感でもって反博を体現したわけだ。

 

f:id:iparappa:20180812234004j:plain
▲エキスポシティのGUNDAM SQUAREに展示されているガンダムシャアザク

「ひと」「いのち」「こころ」ー。原始から人間が大切にしてきたことがある。

岡本氏はこれらを伝えるため、万博にカウンターを喰らわせた。

「人間の根源的なエネルギー」を太陽になぞらえ象徴化した「太陽の塔」。

f:id:iparappa:20180813015009j:plain

科学の万博という「祭り」の神格として原始の象徴を突き立てる、それはあたかも矛盾しているかのように思う。

しかし、あえて対極のシンボルを万博同等のスケールで表現することで、岡本氏は本来の万博の意義をも昇華させようとしたのだと思う。

 

実はよくわからない太陽の塔

太陽の塔には3つの顔がある。ひとつは頭部にある「黄金の顔」、ふたつめは腹部にある「太陽の顔」、みっつめは背中にある「黒い太陽」である。

これらはそれぞれ「未来」「現在」「過去」を表しており、人間の身体、精神は輪廻しているという考えがもとになっている。

f:id:iparappa:20180813012959j:plain
▲背中にある「黒い太陽」。激しい怒りと憤りを表現したものらしい。

だけど、わかっているのはそれくらいで、なぜこんなものが出来上がったのか、明確な理由が記されていない。

実のところ、作者である岡本氏もよくわかっていない節がある。ジャーナリストから制作意図について質問された時、「本人に聞いてみないとわからないねぇ」と答えたそうだ。

本人とは「太陽の塔」のことである。

f:id:iparappa:20180813015047j:plain

逆にいうと、太陽の塔は見る人それぞれがそれぞれの解釈で納得しても構わないということだ。

呪術的なあやしい印象を持っても、前衛的なふざけた印象を持っても、宇宙的な不思議な印象を持っても構わない。

ちなみに、僕自身にとって太陽の塔はパワースポットだ。大仏のように厳かな印象はないし、威圧的な雰囲気もない。

だけど、目の前に相対すると心の中で「やったぜ!」と思わずほくそ笑むような愉快で元気な気持ちになる。

芸術は爆発だ」と言った岡本氏。その震源である太陽の塔を見る時、その爆発の余波が僕らの心を揺さぶるのかもしれない。

 

常設展示となった太陽の塔

過去、何度か太陽の塔の内部公開があったことを記憶している。その時は抽選などで限られた人しか入ることができなかった。

しかし2018年になって、ついに塔内部の常設が開始されたのだ。

f:id:iparappa:20180813014436j:plain
太陽の塔の裏側から塔内部へ通じる入口がある。

塔内の入館は完全予約制となっており、オフィシャルサイトから申請することができる。結構先まで予約はいっぱいだ。

万博後、行方不明になってしまった「地底の太陽」がレプリカとして復活し、同じく当時展示されていた仮面や神像を見ることができる。

f:id:iparappa:20180813015948j:plain

また33種の生命が連なる「生命の樹」もリニューアルされて展示されている。

現代のライティングを駆使し、新たに演出された巨大なオブジェクトは神秘的でドラマチックだ。

40年以上も前のオブジェクトはやはりどこか古臭い。

だけど、それがネオ・ノスタルジックと言うべき新たな境地に到達している。

塔内は腕部分まで上がることができるのだが、最上階では太陽の塔の腕の内側を見ることができる。

複雑かつ幾何学的な美しさのある構造は必見だ。

f:id:iparappa:20180813014554j:plain
▲万博当時は腕内部の通路を通って大屋根部分に出るルートだった。

その昔、「太陽の塔 アイジャック事件」という赤軍派の学生が黄金の顔の目の部分に登った出来事があった。

できることなら僕も目の部分に登ってみたい。太陽の塔と同じ景色を見るのが夢なのだ。いつかこのアイジャックも常設になれば、なおうれしい。

 

太陽の塔世界遺産にすべき?

奇怪でユーモラスな見た目に荘厳さは見当たらないけれども、太陽の塔はそのコンセプトとして明確な存在理由がある。

我々人間が忘れがちだけど、決してなくならない根源的で猛烈なエネルギー。それは過去も未来も、そして万国人類共通の爆発的な生命力だ。

国、人種、思想や宗教を超えてそれを表現しているものは、この世界に「太陽の塔」だけなのではないだろうか。 

そういう意味で後世に残す価値があるものだと思う。

f:id:iparappa:20180813012943j:plain

万博に未来を夢見て来場した人々を睥睨するかのごとく存在した太陽の塔

だけど、その姿からは原始の力、得体の知れないパワーを感じることができる。

大阪万博から約半世紀が過ぎた。跡地となった万博公園に当時の面影はない。

ただひとつ、太陽の塔だけは今も燦然とそびえ立っている。その事実が太陽の塔が存在する正しさを物語っている。

近い将来、太陽の塔世界遺産になるかもしれない。

だけど、もし岡本氏が生きていたらきっと世界遺産というバリューに楯突くことになるだろう。

太陽の塔は僕らにとってもっと身近な存在であって欲しい。

f:id:iparappa:20180813014939j:plain