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【読クソ完走文】希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話/頭木 弘樹

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カフカ。今日びは黒髪長身のクールな女性ドラマーを連想するのかしらん。しかし、カフカと言えばやはり「変身」で有名なフランツ・カフカだ。

中学生の長男が課題図書で「変身」を読むことになったこともあり、本書を手に取った。

僕も中学生の時に「変身」は読了済みだ。国語の先生は「気が狂いそうになる」と感想を述べていたが、当時から感受性が乏しく鈍感な僕はそこまで感じることはなかった。

しかし、カフカがちょっとおかしい暗い奴、ということは薄々わかっていたし、本書を読んであらためてそれを実感した。

 

本書は単に名言をつらつら紹介しただけの薄っぺらい本ではない。希望名人ゲーテとの対比、そして言葉のバックグラウンドが丁寧に記されている。

そういう意味で良書だと思うし、何よりカフカの言動がいちいち興味深い。というか、ここまでネガティブだと逆に愉快だ。

今回は元気満チキのゲーテではなく、カフカに焦点を当てて紹介したい。

 

オルウェイズ・絶望

カフカは四六時中、絶望している。その絶望っぷりは斜め上を言っている。「新しい朝が来た、希望の朝が!」とラジオ体操も言ってるがカフカは朝から絶望している。

 

朝の希望は、午後には埋葬されている。

 

埋葬って!死んでるやん!誰が埋葬したの?午後に埋葬されているってことは午前中には死んでるってことか。

 

天気がいいので、散歩をしようと思った。
ところが、ほんのニ、三歩で、もう墓地にいた。

 

バスケの試合ならファールをとられるかどうかって状況で、絶望。希望から絶望まで約三歩。せめてもの救いはスタート時点では希望を持ってたってことか。

いや、カフカの絶望はそれどころじゃない。もはや起床時から絶望状態。

 

人が毎日、起き上がるというのは、驚くべきことです。自分ひとりで、この身体を持ち上げなければならないんです!

 

カフカは「自分自身が自分におおいかぶさっている」と表現しており、起床の大変さを表現している。

なるほど、こんな描写で寝坊の言い訳をされたら納得せざるを得ない。かもしれない。

じゃあ、夜ならどうか。朝苦手でも夜元気な人がいるもの。低血圧とか何とか言って夜ふかししてるだけじゃないの~?

さて、カフカの夜はこんな感じ。

 

ぼくの夜は二つあります。
目覚めている夜と、眠れない夜です。

 

起きとんかーい。寝てへんのかーい。そりゃ朝、目が覚めても身動きままならいでしょうよ。とっとと寝ろや絶望野郎。

 

恋愛にも絶望

カフカは生涯独身を貫いた。それはきっと彼が望んだことだと思う。何せ彼女はいたし、婚約は2回もしている。

しかし、彼女に「フランツは生きる能力がないのです」と言わしめた、彼の恋愛観はこうだ。

 

フェリーツェが婚約のキスのためにぼくに向かって来たとき、ぼくの身体を戦慄が走った。

 

婚約者が近寄ってきたらビビるって!なんで婚約したの!?なんで付き合ったの!?いや、お前良くそれで彼女できたな。

カフカは病気のため養生し、結局婚約は破綻。彼としてはしてやったりニヤリ的状況だったと言う。

 

結婚の幸福は、最もうまくいった場合でも、
おそらくぼくを絶望させるだろう。

 

良くて絶望、最善を尽くして絶望。どうあがいても絶望。じゃあ、お前もう独りでいろよ!

 

孤独は、ぼくの唯一の目標、(中略)にもかかわらず、これほど愛しているものを、ぼくは怖れている。

 

二人でいても絶望、独りでいても絶望。どないやねん。

そんなカフカはやっぱり孤独好きだ。日本で言ったら尾崎放哉だ。菜食主義者カフカなので「野菜食っても独り」。

 

マスター・オブ・絶望

ここまで来たらもうカフカの絶望は表題通り名人芸だ。

Napalm Deathの「You Suffer」という曲は1.3秒の中に「なんでお前は苦しむんだ!」と盛り込んでいるけど、これは秒速で絶望に陥るカフカへのカウンターソングじゃないだろうか。

とはいえ!カフカもひ弱で暗いだけじゃない。時にかなり前向きでロックな絶望を口にしている。

 

ぼくは自分の状態に、果てしなく絶望している権利がある。

 

何この学生運動みたいな口調。これほどネガティブで後ろ向きな権利をアグレッシブに主張するか?そしてさらにこの名言。

 

無能、あらゆる点で、しかも完璧に。

 

「文句のつけようのない無能力」「途方もない無能力」…そう表現もしている。さすが物書きらしい見事な絶望っぷりだ。倒置法まで使ったこの潔さが清々しい。

この積極的、攻撃的絶望力とも言える彼の考えには悲しみが根底に流れている。

 

人間はどうやって、「陽気」という概念を見つけだしたのか。

 

愉快な気持ちを見つけることができないカフカは常に静寂を求めた。静かな状態を求めたにも関わらず、静かすぎるとそれに不満を持つ。

 

樹の根につまずいて倒れ、いつまでも倒れたまま

 

それが彼の人生観。そりゃ朝も起きれないわな。

 

でも生きぬいたカフカ

ここまで絶望を極めたカフカだけど、自殺することはなかった。その理由も絶望名人らしい。

 

何ひとつできないおまえが、自殺ならできるというのか?

 

否、できぬ。自分を殺せるくらいなら、もうそんなことをする必要などない。ということらしい。

またカフカは「死の苦痛」を怖れていた。痛いのはいやや…。そう思うと、意外と冷静かつまともな判断ができていた、つまり精神状態は正常だったのかも。

 

仮に死んだとしても自分は救われないと信じていたし、そもそも救済なんて有り得ないとカフカは言っており、そのあたりの思考は「変身」にも垣間見れる。

だけど、カフカ「いつでも救いに値する人間でありたい」と願っていた。絶望絶望、また絶望の中で生きていたカフカ。それでも誠心誠意生きていたのは間違いない。

その誠実さが彼を魅力的にしている所以なのかも。

誠実なカフカは他人を良く観察し、その長所を探し出すのが得意だったという。子供がこけて起き上がる姿にもこう言っている。

 

なんて上手に倒れたんだろう!
またなんて上手に起き上がったんだろう!

 

バカにしてるのか?とも思えるこの発言。しかし絶望の底にいる彼にはこんな些細なことでさえ驚嘆すべき出来事だった。

この本気で人をほめるところがモテた秘訣だったと思う。ほめるって大切。

 

太陽の光に耐えられない、足元の一匹の弱い虫と自らを極限まで卑下したカフカ。己の存在自体に絶望した彼の生涯は40年でとじることになる。

彼は自分の死後、遺稿はすべて燃やすよう身近な人にお願いしている。目立たない生涯、それが彼の望みだった。

 

ぼくのことは夢だと思ってください。

 

そう言い残した彼の存在は、100年近く経った現代、あまりの絶望っぷりが逆に希望を与えてるように思える。

カフカのことを思うと自分の絶望なんてまだまだ。まだ頑張れる、そう思えるのだ。