【読クソ完走文】動物を守りたい君へ / 高槻 成紀
先日、仙台で牛タンを食べた。そう、仙台は言わずと知れた牛タン天国なのだ。これまでに有名店と呼ばれる、「利久」「喜助」「伊達の牛たん本舗」はもちろん制覇している。
ちなみに牛タン定食にはほとんど必ずテールスープが付いてくる。歯ごたえある牛タンとは対照的にほろほろと崩れるような食感だ。
舌と尻尾だけ食べるという、なんともいびつな組み合わせだけど美味いもんは美味い。
しかし、舌と尻尾以外の部位は一体どこへ行ってしまったのか。いつも疑問に思う。
▲「たんや 善治郎」で食べたランチ、牛タン丼。
いや、何も牛タン自慢をしたいわけではない。「動物」といえば「お肉」と切り離せない貧弱な発想を許して欲しい。
本書は畜産における動物をはじめ、ペットや野生動物との付き合い方を丁寧に解説した新書である。
深いテーマではあるけれど、中高生を対象とした内容なのでとてもわかりやすく記されていた。
「野生動物を守りたい」という中学生の純粋な希望あふれるセリフに対し、筆者がその難しさを正直に伝えるところから本書は始まる。
この「守りたい」という発想は非常に表面的なとらえ方であり、人間の口から出てくる言葉としてはトンチンカンだ。
野生動物を守る、つまりそれは「動物たちを不遇な危険にさらさない」ということだが、そのためには彼らが必要とする豊かな自然が必須だ。
しかし、その自然を破壊しているのはまぎれもなく人類の活動であり、悲しいかな人は資源を消費しなければ生きていけない。
だからこそ、人はそれを自覚し自分たちも自然の一部であり、自然に影響をあたえる大きな輪の中にいることを理解しなければならない…
と、そんなことを謳っている。
そういえば、この「野生動物を守りたい。そのために何かできないか」という発想と近しい考えを最近経験したことを思い出した。
そう、カンボジアで経験した物売り少年少女に対しての思いだ。
東南アジアへ行くと、年端も行かない子供たちが物売りをしている姿に遭遇する。見た目に「かわいそう」と思うのが人情だろう。だから彼らからモノを買う。
しかし、それで稼げることになると彼らは物売りだけに専念し学校へ行かなくなる。結果、教育の機会がなくなり、一生物売りとして貧しい生活を余儀なくされるのだ。
目の前の事象に気を取られ大局に考えが及ばない、まさに木を見て森を見ずとはこのことだ。
目の前で展開されていることが真理であると信じるのは危険だ。同じようなことは他にもある。
例えば、「エコバッグは本当にエコなのか」「ゴミの分別回収は必要なのか」「省エネは地球に良いことなのか」などなど…
個人的には雨の日、スーパーの入口に設置される傘用のビニール袋は必要ないんじゃないかと思うけど、あまりにセコい発想なのでここでは言及しない。
本書の話に戻る。「目の前でケガをして動けない野生動物がいた時、あなたならどうする?」という状況において、多くの人は何らかのアクションをする、もしくはしたいと思うだろう。
だけど、その行為が時として結果的にその動物や自然に対しマイナスの要素にしかならない場合もある、と知るべきだ。
だからこそ、正しい知識を身につけることが必要だし、実際に行動し経験をつむことも必要なんだと思う。
とはいえ、すべてのことにそこまで積極的になるのは難しい。だからせめて何事も鵜呑みにせず、自分で考えるという習慣を身につけたい。
…あれ、全然動物の話してないな。