右足の幅がFでした。

サブ6ランナーかく語りき

【読クソ完走文】その家事、いらない。/山田 綾子

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人が生きていく上でどうしても必要となる行為、そのひとつが家事だ。いわゆる、炊事・洗濯・掃除・買い物など、僕らの生活基盤そのものといっていいだろう。それを楽しめる人はいいのだけれど、多くの人が家事に追われ煩わしいと感じている。…と思う。少なくとも僕はそうだ。それを解決するヒントが本書には記されている。

家事のスタイル

家事は「家の事」と書くだけあって、その家庭それぞれにセオリーがある。「トイレットペーパーをどれくらい使ってどのように拭くのか」と同じくらいブラックボックスだし、10の家庭に10通りの家事がある。

僕も自分の母親がやっていた通りの方法を当たり前だと思ってやっている。というか、それしか知らないのでその方法しかできないのだけど。

ただ、家事も時代によって変わってくるし、生活スタイルや伴侶側のスタイルとも合わさって大きく変化してきた。そう、いざ自分がやる側になると、なんとかして効率化・簡略化できないかと(さぼれないかと)考えるようになったわけだ。

僕は家事に手間や時間を掛ける必要はないと考えている。極端な話、家政婦さんにすべてお任せしたいくらいだ。香港では月60,000円ほどで住み込みの家政婦さんを雇うことができる。これは香港という都市の事情が深く関係してるわけだけど、日割り2500円程度で家事全般してくれるなら是非ともお願いしたい。

家事が大変なのは間違いない

著書の山田氏は共働きで子供が3人いる。奇しくも我が家と同じ状況だ。僕は3人目の時、片手に子供を抱きながらほとんど全ての家事ができる能力を身に付けたので、もはや兼業主夫と言っても過言ではない。「イクメンですね。」と言われることは多いが、ただの生活苦なのでそっとしておいて欲しい。

しかし、じゃあ完璧に家事ができていたかというと、それが全然。部屋は散らかる、洗濯物は干しっぱなし、食事も自分たちは適当に済ましてしまう。自己弁護のために言うが、子供が2人保育園に通っていると1日の洗濯物の量はすさまじい。それを含めた家族5人分となると、もはや地獄だ。

そういった背景で見ると家事はすこぶる大変である。つねに追われ続けることになってしまう。だからこそ、家事をしっかりこなす人、山田氏のように工夫してきちっと生活できる人はとてもすごいと思ってしまう。

家事力…たったの5か…

家事にもレベルがある。例えば掃除。毎日、掃除機をかける人もいれば、週一しかかけない人もいるだろう。家の散らかり具合にもよるし、家族構成なんかも影響してくるのでどちらが良いとは言えないが。

そういう意味で言うと著者の家事レベルは僕が思っていた以上に高かった。そこまでしなくていいよ、手を抜けばいいよ、とその方法を伝授してくれるわけだが、残念ながら我が家の家事はすでにそのレベルまで低く、結果、本書に書かれた工夫はあまり参考にすることができなかった。

いや、もちろん高水準の家事を保つためなら参考にできるのだけど、我が家はそのあたり、もはや諦めムードが漂っている…。だから著者のように3人の子供を育て共働きでありながら丁寧な暮らしを実現させているということに敬意を払いたい。丁寧な人は素晴らしいと思う。旬にこだわったり二十四節気を大切にしたり手作りの物にこだわったり…。自分には到底出来ないので、ほとんど憧れではあるけれど。

家事は目的ではない

以前、学校の家庭科の授業で先生がミシンを使わせず手縫いをさせるという書き込みを読んだ。その理由が「将来、子供に何か作る時に親の愛情をより感じるから」というような理由だったと思う。

言わんとしてる事は理解できるし、実際にその先生はそうだったのだろう。だけど、全くトンチンカンな指導である。じゃあ、カマドでご飯炊けば?洗濯板で洗濯すれば?と思ってしまう。手間=愛情というのは与える側のエゴでしかない。

それより家事を手早く済ませて、子供と一緒に遊んだり勉強した方が喜んでくれるのではないかと考える。今のご時世でいうと、子供と一緒の時はスマホを使わない方が大切だろう。本当に手間ひまが重要なら「カレーライスを一から作る」くらいまでやるべきだ。っていうか、やってみたいな、これ。

僕の価値観で言うと、家事は目的ではない。「家事以外のことをする時間確保」という目標を達成するための手段ということになるのか。あくまで「やらざるを得ないこと」であって、やるなら素早く終わらせたいし、やらなくていいならやりたくない。だからこそ、効率化や簡略化は必要なのだ。工夫をもってして家事を速やかに終わらせるのは悪ではない。むしろ無意味な慣習に従って必要以上の時間を掛けることこそ見直すべきだと思う。

さて、そんな家事ではあるけれど、料理や食事はだけは該当しないかもしれない。これについてはまた別の機会に語りたいと思う。

今回はややもすると愚痴になりがちではあるが、決してそういうことではなく、家事の未来、可能性についてのお話でした。そんな訳のわからないことを言いながら、今日も僕は家事に勤しむ。