右足の幅がFでした。

サブ6ランナーかく語りき

裸足はヒーリングなのかという話

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先日の日曜日、比叡山へ行ってきた。足裏に派手な血マメを作ってから約1ヶ月ぶりの比叡山。今回は北白川の京都一周トレイルに添った正規の(?)ルートで進むことに。

バプテスト病院近くの登山口から途中の林道までは意外と足裏に優しい路面で、枯葉が溜まった場所なんかはラグジュアリーな気配さえ漂う。

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▲裸足の比叡山は連敗中なので慎重に進む。

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▲とか言いながら最初の分岐で京都一周トレイルとは違うコースをチョイス。

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▲登山者を拒むように行く手をふさぐ倒木。気にしない。

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▲白幽子の井戸が掘り起こされている!

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▲こんなになってるのか。初めて見た。

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▲中には水が溜まっている。

これまでここを通った時は井戸のイの字もなかったはずだが、誰かが掘り起こしたのだろう、少ないながらも水を湛える井戸があった。ここで水をくんでいた、ということに疑いは持たないけど、ほんの少し歩くとすぐそこに沢があるやん。キレイな水流れてるやん。とまあ、そんな白幽子さんについては下記のブログで紹介している。

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▲見晴らし台からの眺め。

普段はスルーしている見晴らし台にも行ってみた。ここは北白川城の出丸(本丸の物見の砦)だった場所で、確かに見晴らしが良い。白鳥山の山頂に位置するそうな。

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京都市内を一望。今日暑い…。

しばらく走って林道に到着。約1キロ続くこの砂利道ではXeroshoes を履いて進む。ここで足裏を消耗すると後がつらいもの。しかし今日はトレイルランナーによく出会う。5月12日に比叡山インターナショナルが開催されるからその試走かな。ある4人組のランナー集団とすれ違った時、「ワラーチ…」とつぶやいた人がいたのだけど、会釈だけしてそのままお互い走り去った。

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▲林道にはケルンが置かれている。これも今回初めて見た。

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▲水キレイだし冷たいしサイコーやないか。

水飲対陣跡を過ぎ登りをはぁはぁ言いながら進んでいると前から結構な集団が降りてくる。どうやら消防署の人達らしい。制服を着ているので訓練か何かだと思うけど、こんなところで見掛けるなんて珍しい。

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▲まさか山の中でマスクをもらうとはな。

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▲続いてポケットティッシュ。なんで?

結局、20人近くの隊員の方とすれ違ったのだけれど、「裸足ですか」とか「足、気をつけて」といった声掛けを頂く中、ある人がひと言、「ヒーリングですか?」と投げ掛けてきた。ヒーリング?最初何のことかわからなかったけど考えを巡らした結果、あぁつまり超自然的なアレですなと理解した。

自分でも意外だったけど、これまで裸足で走っていてスピリチュアルなんてちっとも考えたことはなかった。いや、アーシングはそっち寄りか…?でも一応科学的風な根拠もあるしな…。何にせよ裸足で山を登ることで魂が浄化されるとか精霊と対話できるとか、キョンキョンの言葉を借りるとアウトオブ眼中だったわけだ。

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▲ケーブルの駅ではなく山頂に向かって登る!

ただ、あらためて考えてみるとスピリチュアル系の人はだいたい裸足だったりする。瞑想したり交信したり降霊したり、イメージではやっぱり裸足だ。シャーマンがズームフライ履いて舞ってる姿には違和感がある。

裸足であることが自然であるのは間違いない。自然、つまりナチュラルな状態でなければ高次の存在とつながることはできないのだろう。だからこそスピリチュアルは裸足なのだ!…とは言ってみたものの、僕はそっち系に詳しいわけではないのでこれは想像でしかない。

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▲3人組のトレイルランナーと叡山ロープウェイ

これは僕のスキル不足が起因していることだけど、裸足で山を走るのは痛いことが多い。ガレた場所、とくにそれが下りならなおさらで、走り抜けろと言われたらそれこそ地獄だ。そんな状態で魂がキレイになるはずがない。苦行意味ねーしとブッダも言ってる通り山裸足が痛いうちは悟れない。いや、悟るつもりはないけど。

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▲大原方面。眺め良い!

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▲駐車場の日陰で休憩。

痛い上にヒーリング効果も得られないのなら、なんで裸足で山を登るのか?という問いに帰結するわけだけど、最近僕は「フリークライミングみたいなもんです」と答えるようにしている。何でわざわざ素手で岩登るの?ロープとか使えばいいじゃん。…まさにそれである。

ま、フリークライミングはスポーツとして確立してるし、オリンピックの競技にもなってるし厳密には同じとは言えないけど。しかもクライミングしてる人ってなんかカッコイイしな。

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▲大比叡の頂上だ!前回の借りは返した!

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▲なぬ!NHKの中継所がなくなってる…だと!

山裸足とフリークライミングが似てると言いたいのは「己の身体ひとつで成し遂げる」感が非常に強いということだ。靴より裸足が優れてるとか道具を使うのは邪道だとか、そういうことを言っているのではない。何をどう成し遂げるかということでそれは人それぞれ。自分の力で何かをやりきった経験の乏しい僕にとって、「身ひとつ」で挑戦できることはとても重要な要素なのだ。

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▲いつものケーブル駅からの眺め。木彫りのウサギが怖い。

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▲大比叡から直接ここへ来るつもりが道を間違えて延暦寺を通ってきた。

そういった個人の狭いこだわりは抜きにしても、裸足で山や野道を走るとダイレクトに自然を感じることができるのでとても清々しい。自然に身を置く気持ち良さは誰しもあると思うけど、裸足だとそれが倍増される。だから気持ち良いし楽しいし面白い。ヒーリングとまではいかないけど、元気になれるのは間違いないのだ。

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▲下りの途中で見つけた石舞台。なんやこれ?

延暦寺からは再びワラーチを装着して山を下る。ゴム底1枚あるだけで飛躍的なスピードで走ることができるのは単に裸足スキルが低いから。自分の裸足下山に比べて飛躍的というだけで、実際は下りもそこそこ遅いということを付け加えておく。

結論として、裸足で走ることがすべての場合においてヒーリングになるわけじゃないけど、ヒーリングにおいて裸足は有効な手段だと言えるのではないだろうか。と無理矢理まとめてみた。

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比叡山高校のグラウンド。強烈な日差しでグランドが真っ白な砂浜のようだった。

高校のグラウンドから車道へ出る手前で、登りの林道で出会った4人組に再会した。たぶんロテルド比叡経由でここまで来て延暦寺まで登るんだろうな。また会いましたね、お気をつけて!と声を掛けた過ぎ去り際、さっきと同じトーンで「ワラーチ…」と聞こえてきた。もしかするとこれは精霊の声かもしれないと思い、どこにともなく会釈をして比叡山を後にした。