右足の幅がFでした。

サブ6ランナーかく語りき

【読クソ完走文】自分を変える習慣力/三浦 将

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さすがに40も過ぎるとこの手の自己啓発本を読んで目からウロコ的なこともなく、「だよねー」という同意と共に、「良い事をわかっていながら実行出来ていない自分」を再認識し自己嫌悪することの方が多くなった。それでもなお時々読もうと思うのは、自分を奮い立たせる気持ちがあるのか、まだ怒りに燃える闘志があるのかないのか。自分にとって「巨大な敵」はいつだって己であることを、残念ながら僕はすでに気付いてるのだ。

 

習慣化のための3要素

さて、本書。習慣の重要性が説かれているわけだが、習慣化するまで継続すること、つまり「右足を出して左足出せば…歩ける!」というくらいのレベルにまで持っていくべしと書かれている。そのために必要なこと、それは、

・目的意識を持つこと
・無理をしないこと
・小さな努力をすること

と、いうことなのだという。

確かに、これには強く同意したい。僕はランニングを継続しているわけだけど、それは大好きなお菓子を食べても太ってしまわないよう運動が必要だからだ。(目的意識)
本当はスピード練習やインターバル走を取り入れるべきなんだろうけど、とりあえず走ればOK!というスタンスで、さらに気持ちが乗らない時は走らない。(無理しない)
毎日走ってるわけじゃないけど、走れる時は走るようにしている。たとえ出張先の札幌だろうと博多だろうと、いつでも走る準備は万端だ。(小さな努力)
そんなこんなで「走る」ことに対する抵抗や特別感はなくなった。つまり習慣化したと言っていいと思う。

 

まずは環境を整える

習慣化とはいえ、人間、やらなければならないとか、やらざるを得ないとか、そういう追い込まれた状況を自分で作り出さない限り動けないものだと思っている。少なくとも自分はそうだ。通勤時、ひと駅手前で降りて走るのも、走らなければ会社に遅刻するから。家に帰ってから風呂に入る前に走る…なんていう新たな習慣を作ることはほぼ不可能と言っていい。(実証済み) Do or Die くらいの覚悟がないと無理だ。その点、僕はとことん自分に甘い。そもそもの目的が甘いモノを食べたいという自分を甘やかすためことなのだから仕方ない。

 

やりたいと思ったことをやる

そしてもうひとつ、大切なのは「本当にしたい事は何か?」を明確にすることと書かれている。つまり「好きであるかどうか」ということ。正直、好きな事じゃないと続かないし、もっと言うと、やりたい事しかやりたくない。僕が裸足で走るのも、世間の注目を浴びたいとか、特別視されたいとか、そういうことじゃなく、ただ好きだから続けているのだ。まだまだ裸足スキルは低いけど、「好きこそ物の上手なれ」という言葉が示すように、好きだから続けられるし上達も早いのである。

じゃあ好きなことだけやって、イヤなことはやらなくていいのか、というとこれまた話が違う。若いうち(人生経験が乏しいうち)は、いろんなのことをやればいいと思う。やりたくないことも、やったことないことも、できる限り経験してみる。普通、イヤなことなんて自ら進んでやるものじゃないんだから、そういう意味で仕事やバイトで「仕方なくやる」ってことも経験を広げるためには必要なんだと思う。

 

いろんな事をやってみる

「若い時の苦労は買ってでもせよ」という言葉があるけど、イヤなことをしなければならない時によくこの言葉で諭されたことが多いからか、あんまり好きじゃない。だいたい若いうちに苦労したからって豊かな老後が約束されるわけじゃないし、若い時も楽で年老いてからも楽な方がいいに決まってる。

だけど前述した通り、いろんな経験をすることで自分に合っていること、苦手なこと、好きなこと、興味ないことなどがどんどん選別されていくし、そうすると自分の嗜好が確立されて、「好きなこと」が自ずと明確になってくる。後はその気持ちに従って継続していけばそのスキルも上がって楽しくなってくるし、楽しくなればさらに深く追求することができるし、結果、充実した老後が送れるのではないかと考えている。

 

本書では、良い習慣として食生活や生活リズム、ポジティブシンキングなどにまで話が及んでいる。主張していることは至極、正しい。その通りだ。だけど食事についてなんて昔から「玄米と味噌と野菜食っとけ!」って宮沢賢治も言ってるし、さほど目新しいことはない。ここに書かれていることをやれば心身ともに健康になることは、ほぼ万人が認めるところだ。

だけどそんな良いことばかり続けられないのが凡人の性。今日も大好きなレーズンチョコとハイボールをチビチビいきながら夜な夜な過ごしている。悪い習慣っていうのは、どうしてこうも定着するのでしょうね。