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右足の幅がFでした。

サブ6ランナーかく語りき

走ることについて語るときに僕の語ることについて僕が語ること

マラソン ランニング 読書

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僕はハルキストではないので、そこに関してはあまり思うところはないけど、

フルマラソンを20数回完走したという著者は、本当にスゴイと思う。

 

っていうか、マラソンランナーはみんなスゴイと思うし、ウルトラランナーや100マイラーは無条件で尊敬してしまう。

 

それはさておき、小説家・村上春樹氏の著書「走ることについて語るときに僕の語ること」のお話し。

 

いち市民ランナーとしてこれまで走り続けてきた村上氏が、走り始めたキッカケから現在に至る経緯をつづっています。

 

そしてさすが世界のハルキですから、文章わかりやすいし、いちいちストンストン入ってくるし、簡単にいうと共感できることがとても多い。

 

オリンピック選手やプロ選手の自叙伝や体験談は常人には到底マネできませんが、村上氏は本業がアスリートではないので、彼の思ってることがとても身近に感じられました。

 

印象的だったのは、何度マラソンを走っても初めて走った時と同じような気持ちになるというようなトコロ。

 

僕は経験の浅いランナーだから、たくさん走っていろんな大会に出たら、それはそれはシュッとしたランナーになってその時どんなことを思うんだろう…と想像してます。

 

「はじめの一歩」で主人公が「強いってどんな気持ちですか?」と聞いた気持ちが良くわかる。

 

でも、ホントはちょっと薄々感じてたことだけど、今より速くなってもやっぱり自分自身、納得できないトコロがあって、結局今と同じように思うんだろうなぁとか。

 

一歩くんもあんま変わってないし。

 

心持ちの部分が初期状態と変わらないというのであれば、じゃあ、何のために走るのかということですが、村上氏はちゃんと答えを出してました。

 

走り終わった時、自分に誇り(あるいは誇りに似たもの)が持てるかどうか。それが長距離ランナーにとって大事な基準になる、とのこと。

 

誇りの持ち方は人それぞれあると思うし、その人の走力によっても異なると思うし、だから自分で基準や目標を決めて自分自身でジャッジしないといけないわけですね。

 

ちなみに僕の「誇り」と言える基準は、自分の子供たちに自慢できるかどうか。父として背中で語れるかどうか。

 

村上氏はこうも言ってます。

 

走っていて「きつい、もう駄目だ」と思った時に、「きつい」というのは事実だけど、「もう駄目」かどうかはあくまで本人の裁量に委ねられる部分だと。

 

そういう意味では前回走った比叡山、自分の中では誇りを持てる結果だったと思います。ボロボロだったけど。

 

でもそれを経験することで、ちょっと自分が成長できた気もするし、この年齢になって成し遂げた感を得るのは、大げさにいうと自分の人生を肯定できた気がします。

 

そういえば著者が初めて走ったマラソンはアテネからマラトン間だったそう。僕もいつか海外のコースを走ってみたい。