右足の幅がFでした。

サブ6ランナーかく語りき

【読クソ完走文】読書する人だけがたどり着ける場所/齋藤 孝

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「読クソ完走文」などという書き物を始めて、はや1年が過ぎた。

自分自身、読解力も記述力も向上したという実感はないけれど、思っていることを表現する、ということに関しては、幾許か上達したのではないかと思っている。

それでも過去の文章を読み返すと、ただ本に書かれていることをなぞるように書いているだけであったり、自分が思っていることと少しズレていたりと、思うようにはいかないなぁというのが正直なところ。

こんなことをしていて意味があるのか、一体誰がこんな文章を読んでくれるのか…と思ったことは数知れず。

そんな折、見つけたのが「読書する人だけがたどり着ける場所」だった。

どこやねん、どこにたどり着けるねん!と興味津々で開いた本書、結局のところ、どこかにたどり着ける、というより、どこにたどり着きたいか、ということを示唆する内容だった。


読書するとどうなるの?

端的に言う。

読書すると知識が増える。
     ↓
知識が増えると思考が深まる。
     ↓
思考が深まると人生が面白く豊かになる。

ということが書かれてる。
ここでいう「豊かな人生」とは、「知的好奇心を持って物事に接し、それらについて深く考えた時に得られる喜びや充実感のある人生」だと言える。

やたら長く抽象的な言い換えになってしまったけど、言っていることは大変良くわかる。
ただ、「豊かな人生」を思い描く際、おそらく人それぞれ異なるはずだ。

文学なんて知らなくていい、という人に「読書が人生を豊かにする」と言っても、あまり意味はないだろう。

勉強なんてしなくていい、と言っている人に読書の必要性を説いても全く意味がない。


以前、大阪府が私学の高校への助成金を減額するということがあった。

それを決めた橋下元知事に対し、高校生が意見するという会議が行われた時のこと。

自分たちは経済的に、または学力的に公立に行けなかった、私学しかなかった、だから私学への助成金を減らされると困る、という旨を主張した。

それを聞いた橋下元知事は、「なぜ公立に行かなかったのか」と至極真っ当な意見を学生に返す。

正論だ。ちゃんと勉強して公立に行けばいいじゃんってことだ。逆に言うと、勉強しなかったお前らが悪い、とも取れる。

さすがにそこまでは言及してないけれど、助成金減額の是非は別として、言ってることは間違ってない。

思いの丈を素直にぶつけた若者の潔さは良しとして、意見する前に同じ考えに至らなかったのか?橋下氏の反論を予想していなかったのか?と疑問に思う。

それが、思考の深さをものがたっている。

 

 勉強がもたらすもの

 「こんな勉強して何になるのか?」というのは誰しも考えたことだと思う。

数列なんて生活に役立たない、古文なんて仕事に使わない、そういう発言は僕自身、何度か聞いたことがある。

とは言え、仮にこれをやったら役立つ、給料が増える、とわかっていても人間なかなか勉強できないもの。

そんな人が上記のようなセリフを言っても、勉強したくない言い訳にしか聞こえない。…自分の首を絞めるようなことを書いているが。

しかし、著者の齋藤氏はもっと過激な表現でこう記している。

無教養な人間のやる無作法な態度

 

どんなジャンルでもそうだけど、良さをわかるにはある程度の知識が必要だ。

先日、遅ればせながら「BLUE GIANT」を読んで、あまりの面白さに早速ジャズを聴いてみたものの、そのスゴさがわからない。

これはあきらかに僕のジャズに対する知識や経験が不足しているからだ。

自分がサックスをやっていたりジャズバーに出入りしていたら、もっとジャズの面白さを理解できただろう。

勉強も同じく、やればやるほどその面白さがわかってくる。直接的に役に立つ、立たないという次元じゃなく、自分自身の視野を広げて考えを深くしてくれる。

ジャズを知ればジャズの良さがわかるように、勉強をすれば人生が面白く豊かになる―。本書はその手段として読書を推奨している。

 

どこにたどり着きたいか

もし自分が「知性を得る場所」を目指したいというのなら読書は必要になる。

本書ではどんな本を読めばよいのか、またどんな読み方をすればよいのか、読書指南的な内容も書かれているので、今後の読書ライフに役立つだろう。

知性を得た結果、どうなるのかというと今の日本ではそれが学歴に直結する。学歴で全てが決まるとは思わないけど、今後の人生において学歴が有利に作用する機会は多い。

もう少し言い方を変えると、知識を深める環境に身を置くことができるし、将来の進路の選択肢が増えるということだ。

つまり、自分が思い描く「豊かな人生」に近づくことができる。結果、それが「勉強を必要としない場所」だとしても、そこを選ぶことも可能なのだ。

 

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということわざ、糸井重里氏がほぼ日で話題に出していた。ほんとにそうなんだもんね、と。

 人は学問や徳が深まるにつれ、かえって謙虚になるものだということ。稲は実が熟すにつれて穂が垂れ下がることから。(『新明解故事ことわざ辞典』より)

知識が増えれば「勉強なんて必要ない」なんて言葉はおよそ出てこない。どんなことでも興味を持てば面白い。面白いものは人生に必要だ。

さて、読書して感想を書き続けて約1年、他人のレビューなんかを読むと自分の文章が稚拙であると痛感する。

僕がたどり着きたい場所はまだまだ遠い。